こんんばわ。バカイチです。
今日は【同士体験談】でお楽しみください。
投稿者はこの方、師匠「エロエロ」。紹介するお店は川崎ピンサロ『プリティーガール』です。
今回はこの『プリティーガール』をその誕生の歴史から紐解いていく前後半に渡る壮大な体験記。『プリティーガール』の前身が誕生し、色々な苦難を乗り越え遂に勃興し、それに伴い川崎ピンサロが激戦区になっていく…。
まるで川崎ピンサロの歴史が脳裏に浮かぶかのような新感覚の体験記。それではまず前半からお楽しみください。
「【同士体験談】川崎ピンサロ『プリティーガール』を語る 前半【歴史編】produce by エロエロ」
ですッ!
『プリティーガール』の歴史から振り返ってみたいと思います。
『プリティーガール』の前身である『上海台風』がオープンしたのが2007年の10月後半です。場所は『メガチュッパ』のあるビルの3階にありました。元々、フラ系のオッパイパブの『ホールドアップ』を改装してオープンしました。
女の子は川崎『フラミンゴ』蒲田『世界にひとつだけの花』五反田『世界にひとつだけの花』や今は無き『大井町ボディービート』からとかの移籍の嬢で結成されました。
各店からランカーの移籍や系列店で配られた1980円チケットや新店景気もあり最初は話題になったが、嬢のレベルが他の系列店より低く、『フラミンゴ』の二軍扱いになる。
後に『フラミンゴ』に移籍して、現エースの「時田○○○」と並んでトップランカーになる「玉木○○」(蒲田『世界にひとつだけの花』では在籍が短かくてランカー入りしばかりだった)とかの頑張りもあり、徐々にレベルが上がっていったが、同じビルには『メガチュッパ』(今は二階と三階があるが、その当時は2階のみで1階は焼肉屋さんの跡地だったかな?)があり苦戦!!
因みに、両店ともに店員が下で呼び込みをしてるので、どちらかの店員が利用店舗を聞くシステムが暗黙の了解みたいな感じだった!?
大半の客が『メガチュッパ』だったので、『上海台風』の店員は気が重かったらしい!
一回、『上海台風』でフリーで地雷嬢にあたった時に、下で『上海台風』の店員に文句を言って、あてつけで『メガチュッパ』に入って梯子した事も!?
同じビルに違う店舗のピンサロがあるから、オープン前に並ぶと両方の出勤嬢がチェック出来て良かった(^-^)/
話は『上海台風』に戻します。
店内は12席のベンチシートで制服は店名とマッチさせたチャイナ服だった。その約半年後の2008年5月2日に嬢や店員はそのままで、店名と場所を変えて『プリティーガール』としてオープンしました。
その僅か一日前にNAC系列の『ブルギャル』もオープンしてたり、その後に『メガチュッパ』が一階を増設したり、『フラミンゴ』も負けじと二階を増設したりして、ピンサロの激戦区になっていきました。
『プリティーガール』はフラットシートで席数は多分13席だと思います。
場所はバカイチさんの地図にある通り、マックの横の細い道を入った所で人目につきにくく、又、店頭で店員が立ってないので入りやすいかも?
マックのすぐ近くなんで、待ち時間を潰せるし、嬢が出勤するのも見れます。たまに、嬢も利用するのでばったり合う事も!?
入った事ある嬢がすぐ近くの席にいた時はビックリ!!これ以上は書けないけど(笑)!
あっ!
体験談とかは後半に続く!!!
つづく。
To Be Continued.